学校(現滋賀県立彦根東高等学校)を中退して、1918年に父の会社(1920年に「近江絹糸紡績」と改称。現オーミケンシ)に入り、1930年に急逝した父親に代わって社長に就任し、大手紡績会社に成長させた。1938年に近江実習工業学校を設立。1959年没する。 もうひとつの前身「近江高等女学校」の設立者は財団法人近江育英舎。 10キロバイト (1,165 語) - 2022年3月31日 (木) 04:00 |
第94回選抜高校野球大会の決勝が31日、阪神甲子園球場であり、初優勝を狙った近江(滋賀)は1-18で大阪桐蔭に敗れた。
前日に死球を受けながら170球完投したエース山田陽翔(3年)はこの日も先発するも、3回途中4失点、45球で自ら申し出て降板。
エースからの志願を受け入れてマウンドに送ったが、多賀章仁監督は試合後「彼の今後、将来を見た時に(先発)させたのは間違いだった」と後悔の念を口にした。
山田は前日の浦和学院との準決勝では5回の打席で左足に死球を受け、以降は足を引きずりながら延長11回を170球で完投。「左足関節外果部の打撲症」と診断されながらも、監督に5試合連続の先発を直訴してマウンドに立った。
ただ、多賀監督は「先発を山田でいったんですけど、やっぱりきょうの先発は無理だった。回避すべきだったと今思っています」と沈痛な表情で話した。
山田の思いは汲み取りつつ「やっぱり170球投げてきょうでしたから、そこは私が、本人が志願しても、後ろで投げるチャンスが出てきたら、という判断をすべきだったということです」と素直な思いも。
3回に2ランを被弾した段階で自ら降板を申し出た山田の姿に「松尾くんに打たれて、私に交代を、と言ってきた。大事に至らなくてよかったと思っています」と胸を撫で下ろした。
降板直後は握力がない状態だった。アイシングをして、徐々に握力は戻り、閉会式後は山田は「大丈夫です」と言っていたという。
名実ともに“山田のチーム”だった。多賀監督も「改めて野球はピッチャーだなと」と痛感。「夏は山田に次ぐ投手を作る、鮮明な課題になった。夏に向けて作っていきたいです」と先を見据えた。
Full-Count編集部
https://news.yahoo.co.jp/articles/36f0c1606d2eff78a7752a6a393ba8ff2099549c
あたり前田
何をいまさら
勝ってたら美談にしてたろうなこの監督
当たり前だ!!
昨日、死球を左足に受けて激痛に耐えながら延長11回を170球投げたピッチャーを先発させるか?普通
志願しても出さないよ普通
使い捨てる気マンマンじゃなければな
終わってから言うのは違うだろ
そもそも昨日代えてやれ
令和の時代になあ 監督に5試合連続の先発 170球
京都の高校の代替出場だがこれで潰れたら不運としか
センバツでそんな無理させんでも
志願されたらなあ
ルールで球数決めとけよ
高野連と、毎日新聞と、朝日新聞が
「500球まで投げていい」
とルールを決めたんだから仕方ないね
志願をして出してもらえたのにその判断は間違えてたって言われた山田の身にもなれ
>>31
行きますと言わないと後で何言われるかわからんから無理やけど一応志願したらやれと言われた感じやな
おせーよ
山田らの集団
気づくのおそっwww
次の試合ないんだから別に投げればいいじゃん
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