石橋 貴明(いしばし たかあき、1961年(昭和36年)10月22日 - )は、日本のお笑いタレント・司会者・俳優・歌手・作詞家・YouTuber。 芸能事務所・アライバル所属、同社代表取締役社長。身長182 cm。帝京高校卒業。 音楽ユニット『野猿』の元メンバーでもある。 趣味 : 野球・ゴルフ・映画鑑賞・酒・料理・競馬 36キロバイト (4,767 語) - 2021年4月8日 (木) 01:17 |
「とんねるず」の石橋貴明が11日、パーソナリティーを務めるTBSラジオ「日本生命 presents 石橋貴明のGATE7」(日曜・午前7時)に出演した。
同番組は、石橋にとって18年ぶりのラジオレギュラー番組となる。内容は、石橋が自らチョイスした気になる球界トピックスをあらゆる角度から深掘りする。
番組では、ソフトバンクの強さの秘密を特集した。その中で2005年から2014年までソフトバンクの取締役を務めた小林至氏が電話出演し、スカウトのベースを1993年にソフトバンクの前身の福岡ダイエーホークスの代表取締役専務兼監督に就任した根本陸夫氏が築いた功績を解説した。
小林氏の解説を聴いた石橋は「そうですよ。やっぱり、もともとは根本さんですよ、ルーツは。ダイエーからソフトバンク。その前は西武ライオンズ」とうなずいた。
根本氏は西武ライオンズの監督を務めた。帝京の野球部だった石橋は「西武ライオンズ、1979年ですか。僕は西武ライオンズの新人テストを受けて」と18歳でプロテストを受験した秘話を明かした。続けて「当時、根本監督で。西武は、その年最下位で。2軍の練習場に8人ぐらい投げられる室内ブルペンがあるんですけど、僕は一次テストを受かって、二次テストでそこで8人ぐらいで投げて。2軍のキャッチャーの人が受けてくれて。その後ろでじっと腕組みしながら見ていたのが根本監督でした。根本監督に投球を見てもらっていたんです。5、6球投げたら、『もういい』って言われました」と振り返った。
その上で「僕のプロ野球選手の夢は断たれたんですけど」と笑わせていた。
2021年4月11日 9時31分 スポーツ報知
https://news.livedoor.com/article/detail/20006496/
根本に引導渡されたんなら上等だろ
他はどの球団のを受けたんだろう
石橋は高校時代に公式戦登板あったの?
>>7
ない。
>>7
自称「帝京の秘密(のまま終わった)兵器」だからな。
入団テストは別に合格したからってドラフト指名されるとは限らんのだぜ
>>19
入団テストってドラフトにかからないような子らがうけるものじゃないの?
>>26
カープ大野は地味な島根の商業高校?卒で
信用金庫?の軟式野球部から、カープの入団テストから1流選手になった
名前も豊で左腕、母子家庭と似たような感じ
だった江夏が自分を育ててくれたと感謝してる
と言ってるんだっけか ただし、色々あった
らしいw
>>19
当時はまだドラフト外入団があったのでは
>>19
てか当時はドラフト指名されなくても、ドラフト外入団って当たり前にあったぞ。
貴さんの野球愛はガチ
https://www.asahi.com/articles/ASL5X65J1L5XUTIL04K.html
入団テストに行けるだけですげえよな
しかも
体格いいものね
伊東昭光(後輩)の控え投手だったらしいが、
プロレベルではなかったんだな。
投手は運動神経関係そこまで必要じゃないね。なくてもやれる可能性はある。野手は100%必須だけど
石橋の代の帝京はハザマの世代
一学年上と下にいい人材がそろっていた
手違いで入ってたらメジャー行けなかった
がんばれタブチくん西武編の時代だな
当時貴明はカージナルス(つまみ枝豆とガダルカナル・タカ)と仲良く
たけしの草野球に呼ばれて貴明は結果出せず
枝豆とタカは結果だして、そのままたけし軍団入り
ここで結果出してたらとんねるずはたけし軍団だった
石橋と同学年でのピッチャーの頂点は浪商の牛島
ピッチャーだったのかよ初めて知ったよ
なんかバット振り回してるイメージしかなかった
独立リーグがあったら良かったね
=