斎藤 佑樹(さいとう ゆうき、1988年6月6日 - )は、群馬県太田市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 早稲田実業学校高等部3年時にエースとして夏の甲子園に出場し決勝再試合の末、田中将大擁する駒大苫小牧を下して優勝した。この大会で斎藤 64キロバイト (9,485 語) - 2021年10月17日 (日) 04:51 |
「高校3年生の夏の甲子園をスタート地点とするならば、最初にズレたのは、甲子園が終わって行ったアメリカ遠征かな。あの時、技術的な感覚がズレてしまった気はしています」
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2021/10/04/post_200/index_3.php
── 技術的な感覚?
「夏の甲子園の僕は、変化球はほとんどがスライダーでした。フォークはたまに投げるくらいだったのに、アメリカではフォークばっかり投げたんです。それは、フォークの調子がものすごくよかったからでした。甲子園のマウンドはすごく軟らかいのに、アメリカのマウンドって土が硬いじゃないですか。その硬いマウンドに適した投げ方をすると、フォークがやたらと落ちてくれるんです。それで、フォークの味を覚えてしまって......でも、いま思えば、それが落とし穴でした」
── その時、何が狂ったんですか。
「僕のなかでは『調子いいじゃん』って感じだったんですよ。新しい自分を見つけた......くらいに思って喜んでいました。甲子園ではストレートとスライダーだけで勝った。でもアメリカでさらにフォークを覚えた。大学からプロに行くためには新しい変化球を増やさなくちゃいけないと思っていましたから、すごくうれしかったんです。でも、じつはあれでリズムが変わって、投げ方が狂って、歯車がズレ始めていたのかなと、最近、思うようになりました」
── 最近というのはいつ頃ですか。
「この2、3年かな。この2、3年でトラックマンが出てきて、いろんなデータを見ることができるようになった時、僕の得意球は何だろうというふうな視点で見てみたんです。そうしたら、フォークの回転数とか回転軸がすごくいい。ああ、僕ってフォークがいいんだと思って投げていたら、いい数字が出たときって、肩に負担がかかっている感じがあったんです。そういえば......と思い返してみたら、高校のアメリカ遠征でフォークを落としにいくためにそういう投げ方をして、実際にすごく落ちていた時って、肩やヒジにものすごく負担のかかる投げ方をしていたんですよね。トラックマンのデータがなかったら気づかなかったことかもしれませんけど、あれはいっぱいあった小さいことの最初だったのかもしれません」
── 夏の甲子園から考えれば16年、斎藤さんは"斎藤佑樹"であることを演じさせられてきた感じはお持ちですか。
「それはもちろん、あります。もちろんあるし、今でもかすかに残ってるんじゃないかなと思います」
ダメなった所はちゃんと理解しとるんやね
よう修正しなかったな
怪我の割合は本人の中でそんな大きくなかったんやろなぁ
じゃないと25勝とか言えんわ
問題は真っ直ぐだろが
大学のせいにしないんやな
あくまでも自分のせいや
偉いやん
>>14
大学のせいだと早稲田批判になってOBに悪印象なるし
これから世渡りするのにわざわざ敵作る必要ないわな
まぁワイらから見たら大学でフォーム崩したようにしか見えんな
流石に大学Sageは今後の就活に大きな影響あるから今のうちにアメリカ遠征のせいにしとこ的な感じにしか見えんわ
ようはそれを指摘できなかった早稲田大学のミスや
卒業する時にはもう取り返しがつかなくなってた
大学は叩きたくないけど早い段階から間違えてたという話はしたい
そんなこんなでアメリカ遠征のせいにした
実際高卒だったらどうなってたんだろな
これ見て馬鹿は
やっぱフォークは危険なんだ!ってなるんだな
記事読んでもただハンカチが勝手にそう思っただけなのに
>>26
メジャーで落ちるボール投げるの少ない理由教えてや
これようわからんけど大学いかんとプロ行っとったらまた違ったんか?
こんな冷静に自己分析出来るんか
リハビリ担当の三軍コーチならマジで有能そうやな
ありとあらゆる故障について調べてるだろうし
頑張れ
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